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憲法をいかす福島県民の会

高校生平和大使

「高校生平和大使」について

 1998年5月、核拡散防止条約(NPT)に加盟していないインドとパキスタンが相次いで核実験を強行し、被爆地の市民は核拡散への危機感を募らせました。「ながさき平和大集会」(現在は「高校生平和大使派遣委員会」)に参加する約50の平和団体は、核の惨禍を知るヒロシマ・ナガサキの声を世界に伝えるため、未来を担う若者を「高校生平和大使」として国連に派遣することにしました。

 1998年から毎年、高校生平和大使は国連を訪問し、核兵器廃絶と平和な世界の実現を訴えてきました。2000年からは軍縮会議が開かれるスイス・ジュネーブの国連欧州本部を訪問しています。高校生平和大使は国連で「ヒロシマ・ナガサキ・ピース・メッセンジャー」として認知され、国連で高い評価を得ています。

 福島では震災後の2013年第16代から選考に参加し、現在まで毎年高校生平和大使を選出しています。

 2024年の第27代の活動は、6月の広島研修・結団式、8月上旬の長崎研修(原水禁長崎大会)及び8月下旬にはスイス・ジュネーブの国連欧州本部を訪問しました。これも皆さまがたからの高校生平和大使カンパのご協力の賜です。

 
【 2024年(第27代)の活動レポート 】
■長澤華咲(ながさわ かのん)さん
 私が長崎研修に行った際、実際に被爆された方の話を聞く機会がありました。当時18歳だった築城さんという方の話がとても印象に残っています。築城さんは日本の正義の為に365日働き、その正義のせいで全身に火傷を負い、被爆しました。私はこの話を聞いたとき、怒りを覚えました。正義とは私達の盾となるものであり、矛ではありません。人を傷つけ苦しめる戦争は絶対に始めてはいけないと強く思いました。
 ジュネーブ訪問をした際には、日本にはない考えを聞くことができました。どの組織も平和について強い思いをもっており、とても良いディスカッションをすることができました。GCSP(ジュネーブ安全保障政策センター)、UNIDIR(国連軍縮研究所)に行った際には、大人と子どもではなく対等に一人の人間として私達と話し合いをしてくださいました。この対等な立場で会話をし意見を交換することがとても大切だと思いました。最終日のレセプションでは、外交官の方やジュネーブ大学の生徒など様々な立場の方が集まり意見交換をしました。私はこの意見交換会をしたときにとても驚くことがたくさんありました。特に、若者の平和に対する意識の高さです。学校の教育として平和について学びディスカッションする。日本にはない学習方法で、日本の平和教育に対する意識の低さを感じました。
 私は、長崎研修とジュネーブ訪問で自分の不甲斐なさを感じる一方で、これから私たちは何をしていくべきか考えるとても素晴らしい機会になりました。 
■半谷優亜(はんがい ゆうあ)さん
  今回、3日間のジュネーブ派遣を通して、微力だけど無力では無いという言葉を強く実感することが出来ました。
 まず、国連へ署名を渡すことが出来ました。たくさんの思いが込められた署名を国連へ渡すことができ、その瞬間を見ることが出来たことに喜ばしく思うと同時にこれからも頑張ろうという気持ちが更に強くなりました。
 私はこの3日間でたくさんの壁にぶつかったと思います。私たちの考えとは対極の立場の人や、批判的な意見と出会ったからです。そのため、核兵器廃絶というものに難しさを感じました。ですが、私たちの活動を応援してくださる方々にも会い希望を持つことが出来ました。
 様々な場所で私たちはスピーチを行い、核の非人道性、私たちの思いを届けました。被爆の実相、そして福島の私たちは原子力発電の危険性を訴えました。国連軍縮部のレジンバル所長からはあなたたちの声には力があると言って頂き、とても勇気づけられました。高校生平和大使のスピーチを聞き涙を浮かべる方もいて、私たちの微力がこんなにも人を動かすことが出来るのだと実感しました。
 核兵器廃絶を目指す私たちにとって今回の派遣ではたくさんの壁にあたりました。そして核廃絶というものは理想論なのかと葛藤することもありました。ですが、私たちの活動を応援してくださる人がいて、信じてくれる人がいます。核兵器廃絶は絶対に実現できると信じ、活動を小さなところから世界中へと巻き込めるよう、努力していきます。そして核が無くなるその日まで活動を頑張ります。
   
 帰国報告記録
   
【 2023年(第26代)の活動レポート 】
■五十嵐まど佳さん
 広島・長崎研修を通して、一番印象に残った活動は原爆資料館を訪問したことです。被爆者の写真やボロボロになった子供服、影が焼き付いたコンクリートなど、衝撃的な展示ばかりで、とても胸が苦しくなりました。想像以上に原爆の恐怖を感じました。
 スイス派遣の一番の任務である国連軍縮局でのリレースピーチでは、福島県出身として、東日本大震災の伴う福島第一原発事故による放射能の被害状況についてお話しました。放射能によって被害を受けたという面では、ヒロシマやナガサキとフクシマは共通点があると言えます。放射能の怖い所は、その影響が何世代にもわたって続くこと、そして現在の福島県のように風評被害を受ける可能性があるところです。限られた時間ではありましたが、このことを伝えることができてよかったです。
 世界YWCAという機関では、個人のスピーチもさせていただきました。このスピーチでは、私が平和な世界の実現ということに興味を抱いたきっかけとなった、「焼き場に立つ少年」という有名な写真の話をしました。この写真を撮ったのは、ジョー・オダネルという米軍カメラマンです。私がこの写真を通して一番伝えたかったことは、原爆を投下した国であるアメリカにも、ヒロシマやナガサキの惨状を目にして、それを伝えていかなければならないと決心した人がいたということです。これからも国や地域の違いを超えて、核兵器廃絶と平和な世界の実現のために活動していきたいと改めて思いました。
 
■田村陽子さん
今回、第26代高校生平和大使として広島、長崎、スイスを訪問してたくさんのことを学び、吸収してきました。
 私は、広島、長崎研修の中で被爆者の方のお話が一番印象的でした。原爆を経験していない私たちにも分かりやすく、時に涙ぐみながらお話してくださったことがとても心に響きました。それと同時に絶対に風化させていってはいけない、若い世代が行動しなければいけない、そう感じさせられました。また、東日本大震災の語り部として活動している私にとって被爆者の方のお話はとても学ばせていただくことばかりでした。いかに知らない人に過去の出来事を伝えるのか、自分事として考えてもらうのか、私ももっと勉強して過去を過去で終わらせないような活動をしようと思えました。
 スイス派遣では、各訪問先で私達の平和への思いを伝えてきました。どの訪問先でも私たち一人ひとりの思いに耳を傾けていただきました。特に国連軍縮本部のレジンバル所長は私たちの20分余りのスピーチに真剣に向き合って下さり、平和に対する熱い想いで語り合うことができ、世界平和に一歩近付いたような気がしました。
私自身、事前学習や自らの知識不足で思うように活動ができないことが多々ありました。特にスイス・オランダ派遣では言語の壁もあり、とても苦労すると同時に悔しい思いをしてきました。しかし、それ以上に学ぶこともたくさんありました。これからも高校生平和大使として、平和な世界を追い求め、活動し続けたいと思います。