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憲法をいかす福島県民の会

高校生平和大使

「高校生平和大使」について

1998年5月、核拡散防止条約(NPT)に加盟していないインドとパキスタンが相次いで核実験を強行し、被爆地の市民は核拡散への危機感を募らせました。「ながさき平和大集会」(現在は「高校生平和大使派遣委員会」)に参加する約50の平和団体は、核の惨禍を知るヒロシマ・ナガサキの声を世界に伝えるため、未来を担う若者を「高校生平和大使」として国連に派遣することにしました。

1998年から毎年、高校生平和大使は国連を訪問し、核兵器廃絶と平和な世界の実現を訴えてきました。2000年からは軍縮会議が開かれるスイス・ジュネーブの国連欧州本部を訪問しています。高校生平和大使は国連で「ヒロシマ・ナガサキ・ピース・メッセンジャー」として認知され、国連で高い評価を得ています。

福島では震災後の2013年第16代から選考に参加し、現在まで毎年高校生平和大使を選出しています。

2023年の第26代は、新型コロナウイルス感染症が一定程度収束していることから、6月に広島結団式、8月には原水禁長崎大会、さらにジュネーブの国連欧州本部訪問を実施することができました。これも皆さまがたからの高校生平和大使カンパのご協力の賜です。

【 2023年(第26代)の活動レポート 】
■五十嵐まど佳さん
 広島・長崎研修を通して、一番印象に残った活動は原爆資料館を訪問したことです。被爆者の写真やボロボロになった子供服、影が焼き付いたコンクリートなど、衝撃的な展示ばかりで、とても胸が苦しくなりました。想像以上に原爆の恐怖を感じました。
 スイス派遣の一番の任務である国連軍縮局でのリレースピーチでは、福島県出身として、東日本大震災の伴う福島第一原発事故による放射能の被害状況についてお話しました。放射能によって被害を受けたという面では、ヒロシマやナガサキとフクシマは共通点があると言えます。放射能の怖い所は、その影響が何世代にもわたって続くこと、そして現在の福島県のように風評被害を受ける可能性があるところです。限られた時間ではありましたが、このことを伝えることができてよかったです。
 世界YWCAという機関では、個人のスピーチもさせていただきました。このスピーチでは、私が平和な世界の実現ということに興味を抱いたきっかけとなった、「焼き場に立つ少年」という有名な写真の話をしました。この写真を撮ったのは、ジョー・オダネルという米軍カメラマンです。私がこの写真を通して一番伝えたかったことは、原爆を投下した国であるアメリカにも、ヒロシマやナガサキの惨状を目にして、それを伝えていかなければならないと決心した人がいたということです。これからも国や地域の違いを超えて、核兵器廃絶と平和な世界の実現のために活動していきたいと改めて思いました。
■田村陽子さん
 今回、第26代高校生平和大使として広島、長崎、スイスを訪問してたくさんのことを学び、吸収してきました。
 私は、広島、長崎研修の中で被爆者の方のお話が一番印象的でした。原爆を経験していない私たちにも分かりやすく、時に涙ぐみながらお話してくださったことがとても心に響きました。それと同時に絶対に風化させていってはいけない、若い世代が行動しなければいけない、そう感じさせられました。また、東日本大震災の語り部として活動している私にとって被爆者の方のお話はとても学ばせていただくことばかりでした。いかに知らない人に過去の出来事を伝えるのか、自分事として考えてもらうのか、私ももっと勉強して過去を過去で終わらせないような活動をしようと思えました。
 スイス派遣では、各訪問先で私達の平和への思いを伝えてきました。どの訪問先でも私たち一人ひとりの思いに耳を傾けていただきました。特に国連軍縮本部のレジンバル所長は私たちの20分余りのスピーチに真剣に向き合って下さり、平和に対する熱い想いで語り合うことができ、世界平和に一歩近付いたような気がしました。
私自身、事前学習や自らの知識不足で思うように活動ができないことが多々ありました。特にスイス・オランダ派遣では言語の壁もあり、とても苦労すると同時に悔しい思いをしてきました。しかし、それ以上に学ぶこともたくさんありました。これからも高校生平和大使として、平和な世界を追い求め、活動し続けたいと思います。